重慶(じゅうけい、チョンチン、Chóngqìng)は、中華人民共和国の四つ目の直轄市であります。略称は「渝」。重慶市境内を流れる嘉陵江の古称は「渝水」なのであります。1997年3月14日直轄市に昇格しました。昇格した後の重慶市の広さは82,403平方キロメートルとなり、日本の北海道(北方四島を除く)よりやや広いであります。
長江上流に位置し、湖南省、湖北省、陝西省、四川省、貴州省と接します。
古代の巴国の地であります。巴国は紀元前316年に秦国に滅ぼされました。南北朝時代に宋の皇帝に「渝州」と命名され、これを略して「渝」と称されましたが、現在も重慶の簡称として使われています。1189年(淳熙16年)南宋の光宗により「重慶」と改名されて以来800年余りの間、ずっと重慶と称されています。
重慶江北国際空港(略号CKG)
市内から高速道路で約40分
重慶万州五橋空港(略号WXN)
重慶黔江舟白空港
重慶駅 /成渝鉄路(成都方面)、渝黔鉄路(貴陽方面)の発着駅。
重慶北駅 /華北、華東方面への列車が発着。
沙坪覇駅 /補助駅 、龍頭寺駅。
モノレール(重慶軌道交通2号線)/較場口-新山村間の19.15km。
市内公共交通
市内と重慶江北国際空港を結ぶ路線3号線は工事中。
ロープウェイ /長江および嘉陵江を渡る。
航空航路 2011年現在、中国国際航空(CA)は成田国際空港までの定期便が毎日飛んでいます。
重慶から西北へ約120キロの大足県にあります。所要時間は、観光バスで約2時間であります。大足石刻は北山石刻と宝頂山と分けられています。
北山石刻は唐の892年から彫り始められ、250年かけて1万体の像が彫られ、数カ所に散在していますが、北山の頂にある290窟からなる500m余りの回廊には、観音菩薩·文殊菩薩·普賢菩薩·水月観音·日月観音などが並んでいます。特に有名なものが心神車窟で、正面に仏陀、まわりには8体の菩薩が巧みに配置され、像の美しさは群を抜いています。全体的にも宝頂山石刻と比べると精巧で、緻密に造られています。
宝頂山の石刻は南宋の1179年から70年かけ、周囲2k㎡の山々の13個所に1万体あまりの摩岩像が彫られました。大仏湾を中心に、馬蹄形になっていて、長さ500m、高さ15~30mの岩壁の三面に石刻があります。大型の摩岩像は30体余りがあり、経変物語を主題としています。すべてが摩岩仏であるため、窟一つずつ入って楽しむ敦煌の莫高窟とはかなり趣を異にしています。内容的にはテーマ性と一貫性があり、絵物語を見ているようであります。
大足県内だけで、合わせて5万体以上の彫像があると言われ、「石刻の郷」とも称されています。
大足石刻は1999年12月1日、ユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。
国に指定されたAAAAクラスの景勝地·地質公園。約1億年前の地殻変動により形成された典型的なカルスト地形であります。ここでは、山は橋となり、橋は山となります、つまり橋と天坑が一体となっています。天杭とは、地殻変動や風雨の浸食によりカルスト台地に開けられた巨大な洞窟あるいは渓谷であります。洞窟内にまた洞窟が現れ、橋と坑もその雄壮、険峻な姿で知られています。
地質公園の美しさは一峡、二坑、三橋、四洞、五泉に概括されます。その一峡は洋水河大峡谷のことを指し、天坑三硚地質公園も峡谷内にあり、落差が300mにも達しています。峡谷内は霧が立ちこめ、切り立ったような緑の絶壁がぐっと狭まり、仙境のような雰囲気を醸し出しています。
峡谷内には天坑がたくさん残り、深さと直径は300mと500m以上に達しました。世界一の天坑群として、「中石院天坑」の直径は世界一の長さを誇っています。今は天龍天坑と神鷹天坑のみ遊覧できます。
また、天龍橋、青龍橋、黒龍橋などの自然のまま形成された石橋が見られ、その高さ、幅、長さはそれぞれ150m、200m、300m以上に達し、世界一の天生橋群となっています。「三橋挟二坑」も峡谷内の最も特色のある景観で、世界奇観とも呼ばれています。
天生三橋の特徴は石橋だけではなく、石橋の内部にまた小さな洞窟があり、仙人洞、龍泉洞、迷魂洞、七十二岔洞など、四つの洞窟が並び、奥へ入ると新しい景色が次々と現われ、旅人の目を楽しませます。
五泉(一線泉、霧泉、三迭泉、霊泉、珍珠泉)の形は様々で、周りには緑したたる古木が蒼蒼と茂り、まるで広げられた一本の壮麗な絵巻のようであります。
国に指定されたAAAAクラスの景勝地、中国国家地質公園であります。1993年5月26日に発見され、1994年5月1日に開放されたまだ新しい観光地であります。
「芙蓉洞」は約100万年前に形成された大型の石灰洞窟で、洞内の平均気温は16.1度、奥行きは2500m、一般公開部分は約1860m、地面の幅は12~69.5m、高さは8~48.3m、延べ面積は37000㎡にも達しました。
観光客の最大収容人数は15000名で、鍾乳石の種類も姿も多様であり、統計によると、鐘乳石は70種余りもあります。世界洞穴協会のアンディ会長は芙蓉洞を見学し、次のように感想を述べました。「芙蓉洞は私が見学した数多くの洞穴の中で最高な物だと言えよう。」
1994年9月に芙蓉洞は中国洛陽で行われた中国洞穴研究会で、中国における鍾乳洞の1位に輝いています。更に1999年9月、中国洞穴研究会第三回大会の際、「溶岩洞穴の王様」の美名を浴びました。観光や美的価値のほかに、地層学、鉱物学、水分学、地球化学、生物学、第四地質学、古気候学と古環境学、考古学などの科学領域においても研究価値があると言われています。
芙蓉洞の三つの区域は、色彩の多様化、科学、自然への色彩復元などに力を入れ、その特徴も異なります。観光箇所が30ヵ所を越え、その中で世界特級クラスの観光スポットは10ヵ所にも達しました。人による破壊は全くなかったため、繊細に成長した鍾乳石の形と、美しい白色がよく保たれており、特に巨幕飛滝(幅15.76m、高さ21.04m)、まだ成長していると言われる珊瑚瑤池(面積32㎡、水深0.8m)、生命之源(長さ120センチ、周長124センチ)、世界唯一の犬歯晶花石などは、世界洞穴景観の珍品とも言えます。
国に指定された地質公園で、仙女山の南麓、「天坑三硚地質公園」と同じように洋水河大峡谷内にあり、典型的な峡谷地縫地質奇観であります。
地表水と地下水が数億万年にわたり、相互侵蝕し形成された2キロの地澗峡谷は、峡谷の底と頂の相対高度差が350mに達し、広さ1~5m、頂からの日差しが一線しか射し込みません。武隆地縫を訪れれば、お客様は地球の中心部まで来た気分になり、百万年間にわたる地質変化を観察することができます。
起伏に富んだ市内で、ひときわ小高い丘の上にある公園であります。山頂には展望台を兼ねた塔があり、ここからゆったりと流れる長江と行き交う大小の船を見ることができます。霧の町、重慶の名の通り、霧に囲む町の眺めは情緒に溢れます。
鵝嶺公園は、中日戦争の時、蒋介石夫婦が「飛閣」という建物に半年くらい泊まり、その以降、鄧小平氏、劉伯承氏、賀竜氏などもその建物を利用されたことがあります。今も「飛閣」は重要文化財として保存されています。
羅漢寺は北宋治平年間(1064年~1067年)に建立され、寺に五百羅漢堂が建てられています。千年近くの歳月を経て、寺院は幾度もの栄枯を繰り返しました。現在、四大天王像の碑、古仏岩、羅漢堂、弥勒閣、大雄宝殿、蔵経楼、方丈室、禅堂などが残っています。
2005年 、重慶市は特別都市となった8周年を迎える記念日に、「三峡博物館」が正式に開館されました。博物館は重慶人民大礼堂と向かい合い、広さ4万平方メートルの人民広場がその真ん中にはさまれています。重慶市のシンボリック的な建築物の一つとして注目されています。
3000年の長い歴史を持っている重慶は、「万里の長城」以来の最大工事と言われる三峡ダムの建設により、三峡地域の文化財の保護も極めて重要な課題となり、博物館はそのために作られたものであります。
博物館の敷地面積は22900平方メートル、延べ建築面積は42000平方メートルがあります。館内には四つの展示エリアに分けられています。そのほか、「李初梨献納文物、歴代書画歴代磁器、漢代彫刻芸術、西南民族民俗風俗、歴代銭幣」も展示されています。また三つの仮展示エリアも設けてあり、国内外の文化交流、展示などのご利用ができます。
館内には映画館、実践館が作られ、映画館で360度から三峡の自然風光のご鑑賞ができる共に、実践館で参観者は実際に模擬考古や陶芸なども楽しんでいただけます
2006年10月、アジア·太平洋市長サミットが重慶に開く際にして、重慶市規画展覧館は一つの新しい文化施設として開館されました。外部に向ける重慶市の一つの新しい窓口とも言えます。当展覧館は長江と嘉陵江が合流になっている朝天門広場の地下1階~ 4階に設けられており、展覧館の延べ面積は6万平方メートルもあり、中国国内における最も規模の大きい都市規画展覧館と言われています。中には重慶概況、歴史文化、三峡、山水園林都市、重慶の未来などの内容があり、それを通して、重慶の歴史と現在及び将来を一目瞭然できます。
清代に作られ、数十年間にわたって何回も改築、拡張された湖広会館は中国最大の古い建築群としてよく知られています。場所は重慶市渝中区東水門の近くにあります。
重慶は昔外来の移民が多く、出身地別の同郷団体が数多く存在していました。300年近くの歴史がある同会館は、当時の会館の中で最も規模が大きく、保存も良くされている。中には広東公所、禹王宮、斉安公所など分けており、当時の移民の歴史や生活など再現されています。
1950年に着工し、1953年に完成した重慶最大の大講堂であります。主体部分は北京の天壇にある祈年殿及び天安門の形を倣って建てられた民族風のものであります。半世紀以来、重慶市のシンボルとして市民に親しまれています。
敷地面積は6.6㎡、建築面積は2.5万㎡、礼堂の高さは65mがあり、大ホールにある席数が4200席にあります。建物は瑠璃瓦の屋根、廊下には赤い柱もあり、白い玉石の手すりも観光客の目を引きます。